浄土宗 大窪山光久寺 
光久寺所蔵仏画

   地獄極楽絵図(四幅) 

 江戸中期の制作と伝えられている地獄極楽絵図
です。 当時は江戸や京都などでおもに制作されて
いたことから、信者が江戸か京都から持ち帰った
ものを寄進したと考えられます。三途の川、賽の河
原、奪衣婆(だつえば)、閻魔大王、地獄(血の池、
釜ゆで、鬼)、極楽などが描かれています。
 各寺院ではかつて、正月やお盆などに地獄極楽
絵図などの掛け軸をかけて、住職らが壇信徒に絵
に描かれている地獄の苦しみや極楽の様子などを
教え、善悪などについて説教したものです。
 
賽の河原絵図(右二幅)
      と奪衣婆浄土之図(左)
 

 これも地獄極楽絵図の一部です。死後49日の
間、死出の山路という山のふもとの道を歩くことに

なるといわれ,その間に7回の裁判を受けるといわ
れます。その間に賽の河原を通りますが、そこで
は小さくして亡くなった子どもが供養のために石を
積み上げるのですが、鬼が壊してしまいます。そ
れをお地蔵さまが助けてくれるといわれます。そ
の情景が描かれています。
 三途の川の近くに奪衣婆(だつえば)がいて、亡
者の衣をはぎとり、衣領樹(えりょうじゅ)といいう
木の枝にかけます。重く下がったら罪が大きく、
下がらなければ罪が軽いとされます。
 
         閻魔大王裁図

 死後49日の間に7回の裁判を受けるといわれ、
その5番目、35日が閻魔大王の裁きです。閻魔大
王の裁判は、浄玻梨(じょうはり)の鏡で生前の姿
を映し出します。絵図には閻魔大王の前に引き出
される亡者、人の頭をさした棒の幡、浄玻梨の鏡、
閻魔大王とその側近が描かれています。

※これら地獄極楽絵図はお彼岸、お盆に本堂に
  掲げられます。
 
         釈迦涅槃図

 縦150cm、横90cmのお釈迦さまが亡くなられた
(涅槃に入られた)時の絵図であり、江戸中期の制
作といわれています。お釈迦さまはインドの釈迦国
の太子としてお生まれになりました。29歳で出家し
、35歳で悟りを開かれ、80歳で涅槃に入られまし
た。サーラ双樹の間に頭を北に向けて右脇を下に
し、右足の上に左足を重ねる、いわゆる「獅子臥(
ししぶす)という姿だったといわれます。その時、サ
ーラの樹は時ならぬ白い花を咲かせ、空からは香
華がふりそそぎ、妙なる音楽が奏でられたといわれ
ます。弟子だけでなく、多くの動物も悲しみの余り集
まってきたといわれ、その情景を描いたのが釈迦
涅槃図です。
 2月15日の涅槃会に掲げます。
 
        幽霊之図 

 当寺には古い幽霊之図というのが所蔵されていま
す。痛みがひどく、保存に耐えられないということで
平成20年に表装し直しました。この図には一人の
女性が描かれており、非常に恐い形相です。柳の木
の下にたたずみ、右手をだらりと下げ、足下の草む
らにはしゃれこうべが転がっています。幽霊のように
恐ろしくも見えますが、左手には数珠を持っており、
左目からは涙を流しているようにも見えます。上部に
淡い月が描かれており、七言四行の漢詩が書かれて
います。能代市編纂に携わっている古内龍夫先生に
調べていただいたところ、この図は親しい人の死別の
悲しみ、苦しみを描いたものであり、打ちひしがれた
心の内面を図に表したものではないかということでし
た。救いを求めている極限状態の人間の姿を描いた
のかもしれません。

 
    阿弥陀如来来迎図 

 「南無阿弥陀仏」を称えると、阿弥陀さまが迎えに来
て、極楽浄土に連れて行ってくれるといわれます。そ
の迎えに来たときの阿弥陀さまです。雲の上に乗り、
眉間の白毫(びゃくごう)から光を出しています。細い
線で描かれていますが、この一本一本の線が、「南無
阿弥陀仏」の六字の名号で描かれています。非常に
ありがたいお姿です。
 
     絹地織物十六観音 

 十六体の観音さまが、絹地で刺繍のようにきれいに
織り込まれています。仏教は、ある数字に対して特別
な意味を持たせ、大切に使用します。十六もその一つ
で、十六は円満無尽を表し、また完結を表すといわれ
ます。「十六羅漢(じゅうろくらかん)」などがその例で
す。
 
        名号観音 

 はるか西方浄土より三十三身に姿を変えて現れ、
この世で苦しむ人々を救ってくださる聖観音(しょう
かんのん)です。阿弥陀如来を師の仏とし、人々を浄
土へ導く尊い菩薩さまです。この聖観音のお姿を精
妙華麗なタッチで描きあげ、阿弥陀仏の教えである「
南無阿弥陀仏」の六字名号を格調高く揮毫していま
す。聖観音の優しいまなざしと六字名号はありがたい
ものです。
 
       名号五重塔 

  五重塔の図が、南無阿弥陀仏の名号で描かれて
います。細かい部分まで、名号が書かれています。江
戸末期の作とされています。
 お釈迦さまが八十歳で入滅されると、荼毘にふされ、
その遺骨は八分され、土を盛り上げたストウーパ(卒
塔婆)に安置されました。そのストウーパが日本に伝
わり、五重塔になりました。五重とは地水火風空を表
します。ご存知のように、世界最古の木造五重塔は
法隆寺にあります。
 







 TOP PAGE    NEXT PAGE


 サイトマップ


   秋田県能代市 浄土宗大窪山光久寺  

inserted by FC2 system